青島・大島のこと その2

前回に続いて、この夏に出かけた青島・大島について画像とコメントです。

石川県穴水町志ヶ浦 青島
この青島は志賀村(志ヶ浦)と新崎村に挟まれた湾の中ほどにあります。昔(いつのことかはわかりません)志ヶ浦と新崎村とのあいだで争いがあり、そのとき死んだ者たちの遺体を青島に埋めたとの伝説があります。地元の漁師さんに聞いたところでは、幽霊や火の玉が出る島と恐れられ、気持ち悪い場所として、誰も島に渡らないそうです。また新崎で護岸を石積みからコンクリートに変える工事の時、石に隠れていた蛇が逃げ出して、海を渡り青島につき、今では大きな蛇となっているとのことでした。つまり死のマイナスのイメージを持った島のようです。昔の争いごとの「たたり」があると信じられているのかもしれません。

なんだか前方後円墳のようです。

新崎の集落です。


福井県小浜市加斗(かど) 蒼島
島には蒼島神社 市杵島姫命(弁財天)が祀られていて、毎年7月15日に祭礼があり、加斗の人々が島に渡ります。加斗集落の人々が深く信仰する島です。またナタオレノキ(シマモクセイ 島木犀)の群生地で、ナタオレノキの日本海側の北限であり、「蒼島暖地性植物群落」として国の天然記念物となっています。ナタオレノキ希少樹木ですが、その群生地なのです。ナタオレノキは硬い木で道具の柄とするので、その名があるのでしょう。島の東側には洞窟があり、かつては遭難者を埋葬したとの話もあるようです。写真ではよくわからないのですが、少し離れた高所(たとえば海岸線に並行に走る高速道路)から加斗の集落ともども蒼島を見ると、集落、海岸、島、海の一体感がわかります。つまり、島を境として、現世と浄土が一体となっていると認識されたのでしょう。加斗集落の入り口には勧請縄がありました。

青島(この場合蒼島)にはどこか共通点があると思いませんか



加斗集落入り口の勧請縄。魔よけです。


京都府伊根町亀島 青島
この青島は20世紀まで(1942年まで)葬送の島でした。対岸の舟小屋で有名な伊根町を形作る湾の入り口にあります。島には蛭子神社が祀られています。
葬送の島としてはっきりと記録の残る唯一の青島です。記録によると、遺体はトモブト二艘をロープできっちりつないだ上に乗せ、青島に運んでいきます。二つの島の間をつなぐ小石まじりの砂浜に浅い穴が掘られており、そこに薪を積んで棺を置き荼毘に付します(現在は1942年に旧海軍が魚雷基地として島の間の砂浜を掘り返して水路としてしまったので、この場所はありません)。要するに、野天の火葬場です。男性がひとりで一晩かかって焼いていたとのことです。遺族は翌朝、骨をひろいに行き、遺骨は本物の蛸壺に納めて砂浜のすぐ東側の墓地に埋葬しました。
伊根町の海岸に連なる舟小屋からはこの青島を望むことができます。もしかしたら、青島を望めるように舟小屋があるのかもしれません。


伊根の舟小屋です。


次回は小さな大島について、です。