青島・大島のこと その3

今回は大きくないのに大島と呼称される島についてです。

山形県鶴岡市大岩川字宮名地先 大島

この大島には特に伝説とか、神社あるとかはありません。ごく近くにこの島と同様に海岸から突き出した地先に金比羅岩というのがあり、小さな祠があるが関係はないでしょう。
この岩ともいうべき大島は写真で見てわかる通り、奇岩です。古のひとびとはこの奇怪な岩に特別な思いを寄せたことは確かでしょう。今回の青島・大島のテーマにあてはまる島なのかはわかりませんが、記憶に残る島ではあります。


京都府京丹後市網野町浜詰地先 大島

いまでは、浜詰漁港の護岸の一部となっている、ごく小さな島(岩?)です。小さな祠があります。この大島の対岸の丘の上には大迫古墳群があり、この島を遥拝できる対岸の丘の上に古墳があるとの構造は宮崎県の青島と同一です。また浜詰漁港の奥まった入江は今は打ち捨てられていて、ゴミ捨て場のようになっていますが、大島を望むことができる静かな入江です。もしかしたら水葬地であったかもしれません。
地先の大島に続く海岸を「夕日の浦」といいます。現在では日本海に沈む夕日で有名なリゾート地となっています。
『夫木集(夫木和歌抄)』(延慶3年、1310)「ゆふひの浦」を詠みこんだ歌二首あるそうです。
枕草子』62段 の「里は逢坂(あふさか)の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻(ひとづま)の里。頼めの里。夕日の里。妻取りの里、人に取られたるにやあらむ、わがまうけたるにやあらむと、をかし。伏見の里。朝顔の里。」にあります。
枕草子』の「夕日の里」とは、京都府京丹後市網野町浜詰地先の大島(青島に通じる)に続く「夕日の浜」のことであるとの説もあります。この「夕日の浜」について、『丹後国竹野郡誌』(1915)には、「夕日の浦は一名「常世浜」ともいった」とあります。つまり船に死者を乗せて常世に送る水葬地であったとのことです。古人のコスモロジーを見る思いがする場所ではありました。


これで大島といいます。


大迫古墳の跡です。大島の東側にあり、西に目を向けると大島を遥拝できます。


浜詰漁港奥の入江です。この小さな浜から大島を望めます。

以上、「青島・大島のこと」でした。