陶磁に見られる境界観念について06

万葉集その2

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追ひて、防人の別(わかれ)を悲しぶる心を痛みて作れる歌一首

天皇(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国は 敵(あた)守る 鎮(おさへ)の城(き)そと 聞(きこ)し食(め)す 四方(よも)の国には 人多(さは)に 満ちてはあれど 鶏(とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)は 出で向ひ 顧(かへり)みせずて 勇みたる 猛(たけ)き軍卒(いくさ)と 労(ね)ぎ給ひ 任(まけ)のまにまに たらちねの 母が目離(か)れて 若草の 妻をも枕(ま)かず あらたまの 月日数(よ)みつつ 蘆(あし)が散る 難波の御津(みつ)に 大船に 真(ま)櫂(かい)繁貫(しじぬ)き 朝凪(なぎ)に 水手(かこ)整(ととの)へ 夕潮(ゆふしほ)に 楫(かぢ)引き撓(を)り 率(あども)ひて 漕ぎゆく君は 波の間を い行きさぐくみ 真幸(まさき)くも 早く至りて 大王(おほきみ)の 命(みこと)のまにま 大夫(ますらを)の 心を持ちて あり廻(めぐ)り 事し終(をは)らば 障(つつ)まはず 帰り来ませと 斎瓮(いはひべ)を 床辺(とこへ)にすゑて 白妙(しろたへ)の 袖(そで)折り返(かへ)し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日(け)を 待ちかも恋ひむ 愛(は)しき妻らは

 天皇の防人として筑紫に派遣される兵士の妻の、天皇のために働いてほしい心境と「斎瓮を 床辺にすゑて 白妙の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ」という無事に帰ってきてほしいという悲しみの気持ちを歌ったものである。この場合の斎瓮は床辺という場所に据えられることを考えても、出征する防人の魂に通じるものと思われる。

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大君の命(みこと)にされば父母を斎瓮(いはひべ)と置きて参(ま)ゐで来(き)にしを

 大君の命令なので、父母と斎瓮を家において馳せ参じました。との意味である。中西進はこの「斎瓮と置きて」の意味を「旅の無事を神に祈った後に出発した意」とした。もちろん斎瓮は神前に供える神酒を入れる瓶とも考えられているので、その解釈も正しいのだろう。しかし、先ほどからの解釈で「私の身代わり、魂、私に通じるもの」である壺を置いてきたとの解釈はできないだろうか。

 斎瓮(忌瓮)はお神酒を盛る土師器、須恵器の瓶であるといわれているが、『万葉集』での扱いをみると、神祇に祈りをささげる祭壇を設けるのに際しては、竹玉や木綿(ゆふ)とともに欠かせないものであるようで、その場合は神酒が伴ったのかもしれない。しかし、床の傍に据えて愛する夫などを待つとの表現を見ると、空の忌瓮が愛しい人の魂に通じているような表現に思われる。井本英一(井本英一『境界祭祀空間』平河出版社、1985)によると『万葉集』の忌瓮は睡眠中、魂が遊離していると信じられたからであろうとしている。そこでは、肉体はうつぼの状態であり、安心した状態でいるために、生の原理としての忌瓮を置いたのであるとしている。睡眠は境界に戻るとの観念があって、このような行為がなされたとしている。つまり人は眠ると、その魂は忌瓮のような壺を介して、境界に行くということである。このことから「斎瓮すゑつ吾が床の辺に」などを解釈すると、忌瓮をわが床に据えることによって、わが魂は夜毎、現世を離れ境界で、愛しい人と一緒になると信じられたのであろう。魂はうつぼなる空間を内包する器によって、異なった空間に飛翔するのである。このことは埴輪、須恵器以来の日本の陶磁器を理解する上で、大切な視点であると思われる。

忌瓮に見られる境界の観念は、六古窯で知られる中世陶器の壺や甕、さらには桃山期の唐津焼織部などにも見られると思われる。それらについては別の機会に書いてみたい。