4/21文様研究ゼミの問題提起レジメ

一回アップしましたが、どこかに行ってしまったみたいなので、またアップします。21日の文様研究ゼミ問題提起のレジメです。事前に読んで、疑問点など発してくれると幸いです。

文様研究ゼミ2014.04.21
泉 滋三郎

縄文土器の文様

岡本太郎
「日本の伝統」(光文社、知恵の森文庫、2005、p76〜95)で縄文土器の造形について

縄文土器のもっとも大きな特徴である隆線紋は、はげしく、するどく、縦横に奔放に躍動し、くりひろげられます。その線をたどっていくと、もつれては解け、混沌にしずみ、忽然と現われ、あらゆるアクシデントをくぐりぬけて、無限に回帰しのがれてゆく。弥生式土器の紋様がおだやかな均衡の中におさまっているのにたいして、あきらかにこれは獲物を追い、闘争する民族のアヴァンチュールです。

と書き、縄文時代の狩猟生活の持つダイナミズムと、弥生時代の静的な造形を比較し、闘争する民族の奔放な躍動が縄文土器の造形のもととなっていると指摘しました。

さらに縄文土器の三次元感覚について
狩猟期に生きた人間の感覚は、きわめて空間的に構成されていたはずです。獲物の気配を察知し、しかも的確にその位置をたしかめ、つかむには、鋭敏な三次元感覚がいるにちがいない。それにたよって生活した狩猟期の民族が、われわれの想像をはるかに越えた、するどい空間感覚をそなえていたことはとうぜんです。そういう生活なしには縄文土器のあのように的確、精緻な空間のとらえかたは考えられません。

と、縄文土器の三次元的感覚について指摘しました。

また縄文土器と呪術について
原始社会においては、すべてが宗教的であり、呪術的です。・・・まったく偶然性に左右される狩猟生活は、未開な心性に超自然的な意思のはたらきを確信させます。すべてに霊があり、それが支配している。その好意と助けにすがらなければならない。この見えない力に呼びかけるのが呪術なのです。

狩猟民族にとっては、獲物は激烈な闘争の相手であり、敵です。ところが彼らはそれを糧にして生きているのです。獲物がないということはただちに飢であり、死を意味します。彼らは全存在をそれにゆだね、かけている。だからこそ獲物は彼らにとってまた神聖な存在、つまり神なのです。
・・・彼らはつねに犯すべからざる神を殺す。逆にいえば犯すゆえにこそ、それはまた神なのです。

と、超自然の意思へのまなざしが呪術であり、そこから獲物は神であり、神を殺して食していると観念されたとしています。そのような呪術的観念が縄文土器の造形を作り出したのだとしています。

土器製作への執念
縄文土器の優品(たとへば新潟県十日町市博物館「国宝 火焔型土器」など)には製作への執念を感じます。技術的にどのような方法で製作されたかについては興味深いものです。

縄文文様
初期から文字通りの縄文や様々な文様が施されています。
早期縄文土器から縄文があるのは、縄の観念(へび、龍、固く縛るもの)とも考えられます。特に蛇への強い思いは後の日本の文化にもみられる形象です。
魔よけの蛇からの形
注連縄
出雲大社諏訪大社の注連縄は太く撚られた二本の縄が巻かれていますが、蛇の交尾からイメージされているとされます。(吉野裕子「蛇」講談社学術文庫、1999、50p)
魔よけの蛇
三川内焼の蛇の細工物は家の梁などに置かれ、鼠除け(転じて魔よけ)と思われます。



縄文時代の埋甕と伏鉢

縄文前期後半の河内国府遺跡(大阪府)、縄文晩期の栗ノ木田遺跡(新潟県)、オホーツク文化の遺跡であるモヨロ貝塚遺跡(北海道)などから、頭部に鉢を被せて埋葬された人骨が見つかっている。伏鉢といわれます。また縄文時代の中期以後には各地で住居跡や生活空間から、底を意図的に壊した、あるいは穴を穿った甕が発掘され埋甕といわれます。

埋甕と伏鉢を考えると縄文土器文様の意味が見えてきます。そこで埋甕と伏鉢について考えます。

埋甕
埋甕は竪穴住居の入り口付近に甕が埋められていました。そのことから埋甕については三つの議論があります。
1. 幼児埋葬器論
死亡した幼児の魂が母親の胎内に転生することを希望して、炉の下、敷居の下など、母親がその上や近くをよく跨ぐ場所に幼児を埋葬する民族風習からの論。
2. 胎盤収納器論
場所の考え方は、幼児埋葬器論と同じ。後産を人の出入りの激しい所に埋め、よく踏んでもらうと、幼児自身も元気に育つ、という民俗感染呪術例からの論。
3. 建築儀礼用器論
住宅の新、改築にあたって、埋甕が入口に構築され、その中に供犠された動物や共進された食物が納められ、建築儀礼が行われたとする論。
(丹羽佑一「埋甕集団の構成と婚姻システム」奈良大学紀要9、1980、p39)

ここでは胎盤収納器論を取り上げます。

埋甕と胎盤埋納儀礼
木下忠『埋甕 ―古代の出産習俗』(雄山閣、1981)
縄文中期遺跡の竪穴住居の入り口付近には甕が埋められていた。貯蔵用の器のある場所としては不自然であり、多くの場合、内容物は発掘されない。甕は倒立して埋めてあり、底が抜けているか、底部に穴を穿っていることが多い。大きさから甕棺とは考えられず、近世まで続く胎盤埋納儀礼ではないかと指摘しています。

胎盤を入り口付近に埋めることと感染儀礼
出産時に幼児を包む胎盤を家の戸口、戸口の敷居の下、庭の入口、台所などに埋める。
踏めば踏むほど丈夫な子になる、多くの人に接するので賢くなる、人見知りしないなどと信じられた。

金枝篇』J. G. Frazer 1854〜1941
「かつてひとたび接触の状態にあったものは、たとい遠く空間を隔てた後にも、一つに対してすべてのことは必ず他の一つに同じ影響を与えるような共感的な関係を永久にたもつ」

胎盤を甕に入れて埋めるとは
子宮=大地に胎盤を返すこと。甕は子宮と見立てられているのでは…
底が抜けているのは安産が願われているからと思われます。

この考え方からは、縄文文様が子宮内の象徴的表現と考えることができます。そして甕が生と死の境界となっているのです。

胎盤埋納は近世まで続く民俗風習



























木下忠「埋甕ー古代の出産習俗ー」雄山閣、2005より

埋甕の安産祈願の観念は、東京都あきる野市五日市町の子生神社にみることができます。
子生神社は安産祈願の神社
底の抜けた柄杓を奉納して安産祈願する。

伏甕
縄文晩期の栗ノ木田遺跡(新潟県)から発掘された朝顔形の深鉢は死者の頭部に被せるように置かれていました。伏甕とされます。

菅沼亘「副葬された土器」(『十日町市縄文土器十日町市博物館、2007、58p)
縄文後期の関東地方や中部地方では、死者の頭部に鉢や甕を被せる葬送儀礼があり、甕被葬 鉢被葬 鉢伏せと呼ばれています。
近世には東日本の幅広い範囲で、死者の頭に鉄鍋を被せる「鍋被り葬」というのがあって、その目的は、異常な死、病気や不慮の事故、事件による死者の霊を封印するための呪術と考えられています。
縄文晩期の栗ノ木田遺跡の伏甕と近世の「鍋被り葬」を結びつけることはできませんが、栗ノ木田遺跡のように土器を副葬するという手厚い埋葬行為には縄文人の死に対する特別な思いと死者への畏敬の念を感じさせる、としています。

縄文土器は魂の器か
死者の魂が甕に収まり、出てこないようにとの呪術と考えられないでしょうか。
つまり甕や鉢が魂の容器に見立てられています。

伏甕は二次使用品です。
日常使用していたものを使っています。不用品の再利用ではなく、あの世はこの世とはあべこべとの信仰による、日常品であるが故の聖性があるのかもしれません。

中世後期には擂鉢(すりばち)被せの葬礼があります。
北日本では死者の頭に擂鉢を被せる葬制がありました。
中世陶器の壺の多くは骨壺でしたが、骨壺に擂鉢を被せる例を西日本で見ることができます。

奄美厨子
渡辺芳郎氏(鹿児島大学)の報告によれば、奄美地方では使用しなくなった硫酸壺の口を穿ち、骨壺として使用しています。また鉢を蓋として被せる風習があります。


参考文献
岡本太郎「日本の伝統」光文社、知恵の森文庫、2005
岡本敏子他 編『岡本太郎が撮った「日本」』毎日新聞社、2001
小林達雄 他『原色日本の美術1原始美術』小学館、1994
吉野裕子「蛇」講談社学術文庫、1999
丹羽佑一「埋甕集団の構成と婚姻システム」奈良大学紀要9、1980
木下忠『埋甕 ―古代の出産習俗』雄山閣、1981
J. G. フレーザー、吉川信訳『金枝篇ちくま学芸文庫、2003
十日町市縄文土器十日町市博物館、2007
MIHO MUSEUM他編『中世のやきもの 六古窯とその周辺』2010