10/25日本の装飾美術ゼミ第2回のレジメです。

境界と美術作品
1. 宇宙樹・世界樹生命の樹
ユグドラシル
北欧神話に登場する世界樹
宇宙には自然よりも力のあるものはない。すべてのもの、神さえも自然のなすがままだと、FriggaとOdinは諭しています。ユグドラシルは自然と宇宙を体現しています。その根から葉まですべては繋がっています。ちょうど地球が遠い惑星やさらに遠い宇宙に繋がっているように…
http://norsespiritualism.wordpress.com/2013/11/27/yggdrasil/ の一部を泉が翻訳

扶桑樹
扶桑樹は中国の古代神話に登場する宇宙樹
山海経』第九 海外東経
黒歯国はその北にあり、人となり黒い歯、稲(こめ)を食い、蛇を食う。一つは赤く一つは青い。(蛇が)傍にいる。下(部)に湯のわく谷があり、湯の谷の上に扶桑あり、ここは十個の太陽が浴(ゆあ)みするところ。黒歯の北にあり。水の中に大木があって、九個の太陽は下の枝に居り、一個の太陽が(いま出でんとして)上の枝にいる。
山海経』第十四 大荒東経
大荒の中に山あり、名は孽揺頵羝(げつようきんてい))。山の上に扶木(扶桑)がある。高さ三百里、その葉は芥(からし)菜(な)のよう。谷あり、温源の谷(湯谷)といい、その湯の谷の上に扶木あり、一個の太陽がやってくると、一個の太陽が出ていく。(太陽は)みな鳥を載せている
生命の樹・花宇宙』杉浦康平、2000
「扶桑の樹」は、中国の古代神話に登場する「宇宙樹」です。漢代の記述(前漢、東方朔の『十洲記』)によると、「・・・・・東海の青い海に浮かぶ扶桑という島に茂る、桑に似た巨大な神木。その幹は、二千人ほどの人びとが手をつないで囲むような太さをもつ。樹相がとても変わっていて、根が一つ、幹が二本、この二本の幹はたがいに依存しあい、絡みあって生長する・・・・・」と説かれています。さらに
「・・・・・九千年に一度、小さな果実をつける。この果実を食べた仙人は、金色の光を放ち、空を飛ぶことができる・・・・・」とも記されています。
扶桑の樹は「若木」とも「博桑」とも呼ばれていた。桑の木に似て、生命を産みだす霊力を秘める、不思議な樹木だと信じられていました。


カルパヴリクシャ
帝釈天(インドラ神)の楽園にある、インド・ヒンドゥー神話に登場する空想上の木で、宇宙を統括している。果実を受けたものは神々と同じように永遠の命が約束される



生命樹の渦巻き
松岡正剛松岡正剛千夜一夜http://1000ya.isis.ne.jp/0981.html
杉浦 康平『かたち誕生―図像のコスモロジーNHK出版、1997 について
杉浦さんが唐草文様を見ている。そこからエジプト、ギリシア、東アジア、中国、日本をまたぐユーラシア植物帯のうねりが立ち上がる。パルメットから忍冬唐草へ。
しかしその文様をもっとよく見ると、植物たちは動きだし、そこに渦が見えてくる。
日本の正月では、この唐草文様を覆って獅子舞が踊っている。中国では獅子だけではなく、龍も亀も、鳥も魚も、その体に渦を纏って世界の始原や変容にかかわっている。そこで杉浦さんは‥ふと目を転じ、その渦がときにバティック(更紗)となって人体を覆い、古伊万里の章魚(たこ)唐草となって大器となり、ジャワの動く影絵となって夢に入りこむことを、抽き出してくる。
杉浦さんに‥よって、どの渦にも、天の渦・地の渦が、水の渦・火の渦が、気の渦・息の渦が、躍動していくことになる。
これらの渦を総じていくと、カルパヴリクシャが待っている。樹木が吐く息のことである。けれども杉浦さんが‥見るカルパヴリクシャは、地表を動き、村を渦巻き、空中の雷や鳥の旋回や風の乱流と重ね合わさっていく。


日下のこと
谷川健一「古代人の宇宙創造」『日本人の宇宙論』(谷川健一著作集第八巻、三一書房、1988)
宇宙の真ん中に、それを支える生命の木があるという考えは各民族の神話や伝説に数多く見られる。・・宇宙樹は世界樹とも呼ばれている。
古事記仁徳天皇の条
「此の御世に免寸河(とのき)の西に一つの高樹有りき。其の樹の影、旦日(あさひ)に当たれば、淡道島(あわぢしま)におよび、夕日に当たれば、高安山を越えき。故(かれ)、この樹を切りて船を作りしに、いとはやく行く船なりき。時にその船をなづけて、枯野(からの)と謂いき」
その枯野という船で淡路島の清水を酌んで天皇に聖水をたてまつった、という。この話は宇宙樹の一種と思われる。その樹が免寸河の西にあったということ
和泉国大島郡に等乃伎(とのぎ)神社がある。(高石市取石、阪和線富木駅
等乃伎神社のある場所は、『古事記』の高樹があった地と伝承されている。
大和岩雄によると、そこ(等乃伎神社)は、高安山の山頂の夏至の日の出を仰ぐ場所であり、高安山からみれば冬至の太陽が海に沈む位置に臨んでいる。
等乃伎神社のあるところはかつて日部(くさかべ)郷に属していた。等乃伎神社から東に600mで日部神社(大阪府堺市西区草部262)がある。
高樹伝説の所在地は日下または日部と記され、クサカと呼ばれていた。







2. 樹木と信仰
日本の神社には御神木ある
樹木に神をみる信仰
樹木信仰の対象の多くは照葉樹 常緑という意味で松もまた信仰の対象
神樹の存在
神々が人々の呼びかけに感応して、その神力をあらわすために憑依する樹木
例 榊(サカキ)
生きている樹木の枝が、どちらの方向に向かって伸びているのかをみて、神の意志を探ろうとするもの 例 松など
3. 古典における松
古事記講談社学術文庫 次田真幸訳注
景行天皇(七) 倭(やまと)建(たけるの)命(みこと)の歌
尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 太刀佩(は)けましを 衣著(つ)けましを あせを
尾張国に向かって、まっすぐに、枝をさしのべている尾津崎の一本松は、親しい友。一本 松よ、人のすがたであったならば、太刀を佩かせ、りっぱな衣を著けてあげることができるも のを、親しい友よ
常陸国風土記講談社学術文庫 秋本吉徳訳注
十六 香島郡(三)
・・・相語らまく欲(おも)ひ、人の知らむことを恐りて、歌場(うたがき)より避(さ)りて、松の下に蔭(かく)り、手を携え膝を
促(ちかづ)けて、懐(おもい)を陳(の)べ、憤(いきどほり)を吐く。既に故き恋の積れる疹(やまひ)を釈(と)き、還(また)、新しき歓びの頻(しきり)なる咲(えみ)を起こす。時に、玉の露杪(こぬれ)なる候(とき)、金(あき)の風の令(お)節(り)なり。あきらけき桂(つ)月(き)の照らす処は、なく鶴(たづ)が西(かへ)る洲なり。颯颯(さや)げる松風の吟(うた)ふ処は、度(わた)る雁が東(ゆ)く岵(やま)なり。山は寂莫(しづか)にして巌の泉旧(ふ)り、夜は粛(き)条(び)しくして烟(けぶ)れる霜新なり。近き山には、自ら黄葉(もみじ)の林に散る色を覧(み)、遥き海には、唯蒼波(なみ)の磧(いそ)に激(たぎ)つ声を聴く。茲(こ)宵(よい)茲(ここ)に、楽しみこれより楽しきは莫(な)く、偏(ひとへ)に語らひの甘き味(あぢはひ)に沈(おぼ)れ、頓(ひたぶる)に夜の開けむとすることを忘る。俄(にわか)にして鶏鳴き狗吠え、天(そら)暁けて日明かなり。ここに僮子(うない)等(ら)、為(せ)むすべを知らず、遂に人に見らるるを愧(は)ぢて、松に樹と化成(な)れり。郎子を奈美(なみ)松と謂ひ、嬢子を古津(こつ)松と称ふ。古より名を着けて、今に至るまで改めず。
万葉集講談社文庫 中西進 訳注
巻二 磐代の浜松 有馬皇子、みずから傷みて松が枝を結ぶ歌二首
141「磐代の浜松が枝を引き結び 真(ま)幸(さき)くあらばまた還り見む」
142「家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」
有馬皇子事件の際の歌
141 磐代の浜松の枝を結びあわせて無事を祈るが、もし命があって帰路に通ることがあれば、また見られるだろうなあ(それは無理なのだろう)
巻二 吉野より蘿(こけ)生(む)せる松の柯(えだ)を折り取りて遣はしし時に、額田王の奉(たてまつ)り入れたる歌一首
113額田王「み吉野の玉松が枝は愛(は)しきかも 君が御言(みこと)を待ちて通(かよ)はく」
松の木を玉松すなわち魂松(たましいの松)とし、松を神樹とみる信仰がみえる
巻九 鷺坂にして作れる歌一首
1687柿本人麻呂「白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も深け行くを」
松の木の下に宿ることで、松に憑依する神霊の加護、守りを受けることができるとする信仰
4. 松と信仰
松と清浄
神は、清浄な場所でなければに降り立つことができない。人々が生活していくために必要とされるものは人の世の垢に汚れているので、神々はそこに宿ることができない
松は、人々の暮らしとは切り離すことのできない樹木ではあるが、四季を通じて、みずみずしい緑の葉を保ち色を失わないところから、人の垢に汚れない清浄な樹木であると、見立てられていた
松は海岸など日本人にとって境界を意識させる場所にあり、松原は具体的に松の葉が敷きつめられた場所であり、清浄な浄土を意識させる場所であった

松は神の依代
松は別世界を意識させる樹木である。天女が舞い降りたのは松原であった。美保の松原
正月の松飾りは神様の降臨を願われている。竹と松の組み合わせが門松のも同様である

5. 描かれた松
俵屋宗達筆の「松図」障壁画
京都東山養源院
西軍に落とされた伏見城の東軍の武将たちを弔うために徳川方が建てた
中心的な神聖な場に松図が配される
松の持つ不浄を清める霊力と、松のもつ浄土意識が深く関わる
江戸城 松の廊下
忠臣蔵」の「松の廊下」
江戸城登城の最初の公的空間 松の廊下から先は俗世間とは違う
悪霊が入り込めないように、清浄を保たなけばならない
松に象徴性を込め命名された

6. 松島
蓬莱島
回遊式庭園の中の島には松がある。現世浄土意識からの蓬莱島である。
岡本健一『蓬莱山と扶桑樹』(思文閣出版、2008)
蘇我馬子は、飛鳥の自邸の庭に小さな池を掘り、なかに小嶋を築いた。・・・この「島」こそ蓬莱島であった。・・・馬子は没後、近くの桃原墓(ももはらのはか)に葬られた。・・・この桃原も・・・蓬莱山と同じ神仙世界「桃源郷」を彷彿させる。
平成11年5月、飛鳥京跡の付属苑池(奈良県明日香村出水)が見つかった。・・・苑池の底には美しい玉石が敷き詰めてあった。・・・「瀛洲(えいしゅう)は積石多し」(晋の『王子年拾遺記』)といわれたイメージを装う・・・
前方後円墳が蓬莱山(島)であったこと、苑池もまた、神仙境をこの世に再現したものであることに思い至れば、「蓬莱島の渚」が苑池の州浜に組みこまれることは、神仙境のふたつの表象を組み合わせただけで、ごく自然な流れとして了解できる。古代びとは「常世の波の重浪(しきなみ)の帰(よ)する神仙境を想像したのであろう。


7. 能舞台
方形の空間
能舞台は鞠庭、四畳半茶室、相撲の土俵と同様に方形の空間である
岡田保造『魔よけ百科』(丸善、2007)土俵・能舞台・茶室
相撲の土俵と能舞台はいずれも三間四方で、それに蹴鞠の鞠庭や四畳半の茶室を加えると、正方形の場には呪術的なものを感じる。土俵の四本柱と鞠庭の式木(四季木)は、東北が青と春、東南が赤と夏、西南が白と秋、西北が黒と冬を表していて五行の配当に合っているうえ、四神信仰をも表す。ただし、四本柱は現在では取り払われて四色の房に代わっている。また能舞台と鞠庭には、地下に甕を埋める場合がある。能舞台床下の甕は、足拍子を共鳴させるためにあるというが、埋めた甕には魔よけの要素も考えられる。京都に現存する公家屋敷・冷泉家と函館五稜郭内にあった奉行所の、いずれも玄関式台の床下から甕が出土していて玄関を守る呪物であった可能性がある。さらに、能舞台では、九字を表す三方陣と同様に九つに区画され、シテの位置である「常座」など、それぞれの区画に名称が付けられている。能の前身である猿楽は神事芸能であった。それと同じく相撲も豊作を祈願したり神意をうかがったりする神事から発達したもので、力士が踏む四股は、悪霊を払ったり地霊に敬意を表したりするためのものである。とくに能や相撲の摺り足や、能の足拍子は、反閇(へんばい)に通じるものがある。土俵上で力士は蹲踞(そんきょ)の姿勢をとり、茶に招かれた茶客は露地の蹲踞(つくばい)でつくばう。どちらも身を清めて聖なる場所である土俵や茶室に入るのである。また茶室は母屋の鬼門方位に建てられている場合が多い。
8. 能の演目では
井筒(いづつ)小山弘志他 「岩波講座 能・狂言 ・能鑑賞案内」(岩波書店 1989)
初瀬参りの途次、在原寺の廃虚を訪れた諸国一見の僧(ワキ)の前に、美しい里女(シテ)が現れる。女は在原業平の塚に花水を手向け、僧に問われて業平と紀有常の娘との筒井筒の物語などを語ったのち、自分こそ有常の娘(井筒の女)とあかして姿を消す(中入)。僧の仮眠の夢の中に、再び業平の形見の衣装を身にまとった有常の娘の亡霊(後シテ)が現れ、恋慕の舞を舞い、恋の思い出の井筒をのぞきこみ、夜明けとともに消え失せる。
東北(とうほく)
東国から出た僧(ワキ)が、京都の東北院に着き、美しい梅花を眺めていると、女(シテ)が現れ、その梅は東北院がまだ上東門院(しょうとうもんいん)(藤原道長の娘彰子)の御所であったとき、和泉式部が植え置き愛でた梅であると告げ、自分こそその主と言い、梅の木陰に消える(中入)。僧が法華経を読誦していると、和泉式部の霊(後シテ)が現れ、上東門院門外で、道長法華経を読誦したのにひかれて歌を詠んだ功徳で歌舞の菩薩になったと述べ、和歌の徳や霊地東北院の澄明な風光をたたえつつ、美しい舞を舞って、消え失せる。
etc.
神楽から発した能には、現実世界の延長線上の「あの世」「浄土」に関わる演目を多く見る
鬼界へ去った人々のこの世での思い出、未練が幽玄(ものごとの奥ゆかしさ)として現れる
9. 能舞台とは蓬莱である
能舞台は神仙伝説で、東海に浮かぶ仙境としての方丈、瀛洲、蓬莱から、現世浄土としてイメージされる松のある中の島が、そのもとである。
能舞台には鏡絵としての松があり、また舞台周囲は州浜とされている。このことも能舞台が蓬莱島であったことを示している。
10. 近世の松の観念
長唄越後獅子
「何たら愚痴だえ、牡丹は持たねど越後の獅子は己が姿を花と見て、庭に咲いたり咲かせたり、そこの おけさに異なこと言はれ、ねまりねまらず待ち明かす、御座れ話しませうぞ、こん小松の蔭で、松の葉 の様にこん細やかに…」
一人旅の寂しさの中、妻=牡丹となぞらえ、牡丹=妻がいないと愚痴を言うのか、おけさを踊っている女性に今夜会いましょうと言い寄られ、立ったり座ったりしながら待っていて、小松の蔭でお話しましょう、とのこと。小松の松の葉が言い寄った女性を意味している。

長唄「松の緑」
「禿の名ある、二葉の色に大夫の風の吹き通ふ 松の位の外八文字 華美を見せたる蹴出し褄、よう似 た松の根上りも、一つ囲ひの籬にもるる 廓は根引の別世界」
廓言葉で「松の位」とは最高位の遊女を指し、「はでを見せたる蹴出し褄よう似た松の根上りも」とは派手な下着を見せる様子は松の露わになった根と似ている、との意味女性と松の組み合わせがみられる。

参考文献
杉浦 康平『かたち誕生―図像のコスモロジーNHK出版、1997
岡本健一『蓬莱山と扶桑樹』思文閣出版、2008
岡田保造『魔よけ百科』丸善、2007
小山弘志 他『岩波講座 能・狂言 ・能鑑賞案内』岩波書店、1989
別冊太陽『出雲 神々のふるさと』平凡社、2003
石田佳也 他編『日本を祝う展』図録、サントリー美術館、2007
京都国立博物館編『狩野永徳』展図録、2007
千葉市美術館編『蕭白ショック!!蘇我蕭白と京の画家たち』展図録、2012
『原色日本の美術 15 桂離宮と茶室』小学館、1994
出光美術館編『志野と織部出光美術館、2007
国立歴史民俗博物館編『「染」と「織」の肖像』図録2008
女子美術大学 他 監修『江戸KIMONOアート きもの文化の美と装い展』図録、2011
出光美術館編『古唐津』図録、出光美術館、2004
九州国立博物館編『古武雄』図録、2014