自主ゼミ「やきものABC」の開催について

下記の要領で自主ゼミ「やきものABC」を開催します。
自主ゼミ「やきものABC」

初心者のための陶磁史ゼミ
日本のやきもの(陶磁器)を歴史といっしょに考えていきましょう。縄文土器から今日の食器にいたるまで日本にはいろいろなやきものがあります。それらのやきものを、それぞれの時代の文化の中においてみるとどうなるでしょう。たとえば古い常滑焼の壺は少しゆがんだ荒々しいものですが、その荒々しさは逞しいとも感じられます。それは鎌倉時代の庶民の野生的な逞しさのあらわれなのかもしれません。常滑の古い陶器から、力強く時代の風と向き合ったひとびとの精神を感じ取ることが出来るのではないでしょうか。また江戸時代初期の九州の唐津伊万里の陶磁器は中国や朝鮮と密接に関係しています。そのことは陶磁器に限らず、さまざまな文化、たとえば絵画や茶の湯東シナ海を介して中国や朝鮮と密接に関係したことを示しているのではないでしょうか。このように日本のやきもの(陶磁器)を同時代の文化的な流れの中で考えていこうというわけです。

第一回目は、平安時代の終わりから室町時代のはじめにかけての陶器。第二回目は室町時代の終わりから江戸時代の陶磁器についてです。今回は初心者むけに私の方から問題提起のお話をして、その後、ゼミ形式でディスカッションできればと思います。

日 時 第一回 平成26年8月2日(土) 午後1時30分より3時30分まで
第二回      8月9日(土) 〃
場 所 横須賀市生涯学習センター
〒238-0046 神奈川県横須賀市西逸見町1-38-11 ウェルシティ市民プラザ内 5階
地図を参考にしてください。
定 員 30名
会 費 一回500円 二回通しで1000円 会場にて受け付けます。
申 込 下記あてメールで申し込んでください。
pxx03062@nifty.com
申込者にはメールで返答いたします。

her 世界でひとつの彼女

「her 世界でひとつの彼女」をみた。PC内のOSであるサマンサと、手紙の代筆業のセオドアとのSFラブストーリーである。この映画の中で特異な二人の関係は、別にネットワークシステムと人間との関係に警鐘ならすとかのものではない。いい関係の二人、相手の突然の不在、自分と相手のそれぞれの変化と不安などなど…。恋愛のデリケートな機微を描いたものであろう。PC内のOSである彼女は当然のことながら身体を持たない。しかし身体の不在と恋愛の不可能性について論じているわけでもない。だからこの物語は、男と女にはいろいろあったが結局・・・であった、とみるといいのかもしれない。
でも、生身の身体によらない、高度にプログラミングされた相手と恋に落ちるかについては少し考えさせられた。相手の肉体に触れる指先や唇の感覚なしに恋愛は可能だろうか?恋愛とは脳の中の出来事なのだろうか?とかとか…
確かに悩み事や世間話などを聞いてくれるプログラムは可能だろう。また老人の相手をするロボットもできると思う。また性愛なら、それを処理してくれる機器やプログラムはこれから・・・いや、すでに存在するかもしれない。だからこの場合の命題は、人はなぜ恋愛するか、である。
PCやプログラムと人間の共通点は、ハードとしての器官を持つことと、AIまでふくめると思考するということであり、時間とともに変化もするし進化もすることである。ではPCやプログラムと人間の違いとはなんだろうか。それは一方が不滅の電子信号であるのに対して、人間は朽ちて滅する存在であるというところではないだろうか。実はこの朽ちて滅するということと、恋愛はどこかでつながっているように私には思われる。恋い焦がれた経験がある人は知っているだろう。胸が熱くなるとは生への強い願望であり、それは裏側に朽ちていく自分に対する焦燥あることを…
セオドアが手紙の代筆をするということは、見知らぬ他者の身体性を代弁することであった。だからサマンサは手紙の校正や、チョイスはできても、代筆そのものはできないのである。

わび・さびについて

6/23には装飾を排除し文様とは縁のない、わび・さびについて考えます。
1. わび・さび(侘・寂)とは
和歌の世界から
藤原定家 見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
見えるのは、秋の夕暮れ時に寒々とした海岸に壊れかけたボロ小屋があるだけだ。花も紅葉もなんにも無い・不完全で崩れかけた世界を詠う
その何もない世界は、あの華やかな花や、鮮やかな茜色の紅葉の裏返し

わび・さび(侘・寂)の言葉の意味
わび 不完全なこと 劣っていること
Imperfect 岡倉天心 ”The book of tea”
さび 古びたこと 経年変化 鉄の錆
Patina(緑青)
「見えること」 から「見えないこと」を想う
わび・さび(侘・寂)の精神
何もなくて不完全で古びたものを愛でる
その裏側に豊かで完全な世界を想像している
「侘・寂」とは漠々たる(何もない)境界の外を漂泊する精神
わび・さび(侘・寂)は飾るよりも、ものの本質を問題にする
わび・さび(侘・寂)に対応しているのは「かぶく」である

2. わび・さび(侘・寂)の美意識
質感を重視
色彩、質感から直接的な感性にうったえる
飾り、文様は排除される
無垢なもの・裸なもの
形態・意匠に意味を表出しない
作品名ではなく銘がつけられる
意味、物語は作者以外のものによって事後に付与される
色彩象徴を重視
例 楽茶碗の意匠に重ねられた色彩象徴性
中国の「天地万象の根源となる絶対的な道」の象徴としての玄
陰陽五行説からの「生」の生ずる場としての黒
五行相剋・五行相性から導き出された赤と黒
日本の古くからの周辺・外部を示す赤と黒

境界いろいろの参考画像

ひとつ前で書いた、境界いろいろについて参考になる画像を上げておきます。
静岡県宇津峠のトンネル。宇津峠といったら、「伊勢物語」だよね。

浜松市引佐の井伊家ゆかりの井戸。ちょっと立派すぎて、今回のテーマにはそぐわないかな。

奈良県吉野の丹生川上神社下社の階段

和歌山県新宮市の神倉神社の階段。毎年2月6日に「御燈祭り」があり、この急な階段を氏子たちが松明をもって駆け降りる。

鎌倉鶴岡八幡宮の太鼓橋。今は立ち入り禁止だが、昔は通ることができたとのこと。よじ登るのが大変だったと聞く。

境界いろいろ

6/16は境界について話します。そのさわり
筒状の場所、井戸、トンネル
1. 村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」の井戸の底を超越した世界への入口とした。主人公の僕(岡田亨)は、飼っていた猫の失踪から妻クミコとの関係が狂いだし、クミコは消えてしまう。僕は近在の今は空家の庭先にある枯れた古井戸の中で、時空を超えてクミコと心を通わせる。閉ざされた暗い空間である井戸の内部が別の世界への入口であった。
2. 「ドラえもん」ではドラえもんとかノビタが次元の違う空間に移動するとき何か筒状の中を進んでいるように思われる。そして違う空間に出るときの出口は決まって筒の形をしていて丸い穴として表現されている。もっとも「どこでもドア」のようにあからさまに異空間に入り込める道具もあるようだが…
3. トンネルの向こう側が日常とは違う世界であるとは川端康成の「伊豆の踊り子」では、天城トンネルで踊り子の薫に出会い、孤児根性で歪んだ自分とは違う世界へ行く。「雪国」では島村が国境の長いトンネルをこえ、雪深い駅のシーンから始まっている。長いトンネルを越えて日常を離れ、駒子と再会する。トンネルの向こうは島村にとって別の世界なのだ。
4. 宮崎駿の「となりのトトロ」でメイは穴のあいたバケツ(筒状の暗闇の向こうに明るい世界がのぞき見える)で小トトロを発見し、家の床下追いつめる。
―ついでに言えば、家の床下もまた妖怪や魑魅魍魎の徘徊する世界として知られている「仮ぐらしのアリエッティ」も床下が舞台だ―
メイは引っ越しを試みているのか風呂敷を背負った小トトロと雑草の庭で追いかけっこを展開し、あげくの果てに草のトンネルをくぐりぬけることになるのだ。そして鎮守の森の大楠木の根元にある洞を転げ落ちて大トトロの休む壺の中のような空間に至るのである。
5. 「千と千尋の神隠し」の冒頭、アウディに乗って新しい郊外の家に向かう途中、道を逸れてしまい朽ちかけた神社のわきなどを通りながら、猪突猛進型のお父さんが車で突き進んだ先はテーマパークの残骸の入口であった。その入り口はまるでトンネルの口のように建物に穿たれていた。千尋の家族は建物(トンネル)をくぐって別世界に行ってしまうのであった。
天空の城ラピュタ」鉱山の垂直の穴は地底の別世界に通じていた。

1. 永井荷風『濹東綺譚』で主人公大江は隅田川にかかる橋を渡って、私娼窟である玉ノ井の迷宮の中でお雪のもとに通う。橋の向こうの異界の話なので「濹東綺譚」の名がある。
2. 宮崎駿の「千と千尋の神隠し」では、「油屋」の入口に至る橋がある。そこを渡ることは、明確に違う空間に入り込むこと意味している。千尋はその橋でハクと出会う。また物語の終わりも橋でのイベントであった。
3. 神社の入口には象徴的な橋がある。
階段
1. 神社の拝殿と本殿の間にはたいてい階段がある。階段を上った床上が神の座所とされる。
2. 村上春樹の「1Q84」で、青豆が月の二つ見える違う世界に行ってしまうのは、高速道路の非常階段を降りてからである。

東照宮で見かけた文様

日光東照宮は文様があふれているが、いくつかの文様を紹介します。
七宝繋文

雷文

三島大社で見かけた伝統的な文様です。
紗綾文
江戸時代に盛んに使われた文様です。

剣花菱

青海波